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Early Music Art Gallery  ―――チェンバロ(35)―――


カルル・ヴァン・ロー『愛人のためにコンサートを催すトルコ皇帝』
 
カルル・ヴァン・ロー        Carle van Loo
(1705-1765)
 
『愛人のためにコンサートを催すトルコ皇帝』
The Grand Turk Giving a Concert to his Mistress
1737年制作
 
ロンドン,ウォレス・コレクション       Wallace Collection, London



18世紀から20世紀のヨーロッパ美術の中には、オリエンタリスム Orientalism (東洋趣味)の影響を受けたものが多く見られます。もともとオリエントという言葉は、「日が昇る方角」を意味するラテン語のオリエンス Oriens を語源とし、ヨーロッパの人々にとっては、トルコのボスポラス海峡より東の地域を意味しました。

もともと十字軍以降、ヨーロッパ人はオリエントへの関心を早くから持っていましたが、ロココ時代のフランスあたりから、美術作品にオリエントへの憧れや好奇心と言ったものが強く反映されるようになりました。18世紀のオリエンタリスムはシノワズリ Chinoiserie(中国趣味)と、「アラビアン・ナイト」のフランス語訳から端を発したテュルクリ Turquerie(トルコ趣味)に二分されます。

カルル・ヴァン・ローの『愛人のためにコンサートを催すトルコ皇帝』は、明らかにトルコ趣味の影響を受けてた作品ですが、あまりトルコ的な雰囲気を感じません。多分、女性の服装がトルコ風ではないことと、クラブサン(チェンバロ)とヴァイオリンといった楽器の影響が大きいのではないかと思います。

この頃のオリエンタリスムの絵画は、画家の空想に寄る中国やトルコの情景なので、この絵にあるようなコンサートが実際に開かれたどうかはわかりません。むしろ、架空のコンサートである可能性が強いでしょう。ただし、クラブサンを演奏しながら歌っている女性は実在の人物で、ヴァン・ローの妻で本職の歌手だったクリスティーネ・アントーニア・ソミス Christina Antonia Somis (1704-85) がモデルだそうです。

この絵を描いたカルル・ヴァン・ローは、フランドル系フランス人の画家一族のひとりで、一族の中では最も有名な画家ではないかと思います。彼は1714年に兄と共にローマに移住したのち、本格的に絵を学びました。1720年にパリに戻り、1724年にはローマ賞を獲得して再びローマに留学しています。その後、1734年にパリに戻り、翌年には美術アカデミーへの入会を認められました。

カルル・ヴァン・ローは政治力もあった人なのでしょう。1762年にはルイ15世の主席宮廷画家になり、翌年には王立アカデミーの院長に就任しています。彼と同年代でライバル関係にもあったフランソワ・ブーシェ Francois Boucher (1703-70) がこのふたつの地位につくのは、カルル・ヴァン・ローが亡くなった以後のことでした。

 
(2007/12/05)

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